今回は、日本の歴史の中でも特に華やかで、激動の時代として知られる「安土・桃山時代」について、その名前の由来に迫ってみたいと思います。
特に、「安土」は織田信長の居城があった場所として有名ですが、「桃山」って具体的にどこを指すのか。「ここだよ!」と、的確に答えられる人って、案外少ないんじゃないでしょうか。
「安土・桃山時代」ってどんな時代?
まず、「安土・桃山時代」がどのような時代だったか、ザックリおさらいしましょう。
安土桃山という時代は、戦国時代の末期から江戸時代が始まるまでの、およそ1573年から1603年頃までを指すのが一般的です。
あの織田信長と豊臣秀吉という二人の英雄が、天下統一に向けて躍動した、ドラマチックな時代という印象があります。時代の把握の苦手な方は、─ 安土桃山時代 イコール 戦国時代の別の呼び方の一つ」という捉え方でも良いでしょう。
また、「桃山文化」という言葉が生まれたほど、豪華絢爛な文化が花開いたことでも知られる時代でもあります。
「安土」の由来になった場所
では、本題の時代名の由来に入りましょう。
まず「安土」について
「安土」は、比較的多くの方がご存知かもしれません。そう、織田信長が天下統一の拠点として築いた壮大な「安土城」があった場所に由来しています。現在の滋賀県近江八幡市安土町ですね。信長の革新的な政治や文化の中心地となったことから、この時代の名前の一部として使われるようになりました。
今回のメインテーマ「桃山」について
「桃山?どこかの山の名前?」と思う方もいるかもしれませんが、実はこれ、豊臣秀吉が晩年に居城とした「伏見城」のことを指すのだそうです。
「え?伏見城なら、安土・伏見時代ってなるんじゃないの?」と疑問に思いますよね。私も、最初はそう思いました!
なぜ「伏見」ではなく「桃山」なのか?
なぜ「伏見城」なのに「桃山」という名前が時代の名称に使われるようになったのか。ここが面白いポイント
伏見城が築かれた周辺には、たくさんの桃の木が植えられた「桃林」があったからなのだそうです。
つまり、実際に「桃山」という地名があったのではなく、桃林が山のようにある伏見城とその周辺エリアの景観を指して「桃山」と呼ばれるようになり、それが時代の名称として定着したと考えられます。桃の花が咲き誇る美しい場所だったのかもしれませんね。
「安土・桃山時代」と呼ばれるようになったのは意外と最近?
さらに興味深いのは、「桃山時代」という呼び方がいつから使われるようになったのか、という点です。
「安土・桃山時代」と一般的に呼ばれるようになったのは、実は明治時代以降のことだと解説されています。
つまり、信長や秀吉が生きていた当時に「今は桃山時代だね~」などと言っていたわけではない、ということになります。後世の歴史家たちが、この時代の文化や特徴を捉えて名付けたというわけです。
江戸時代に、伏見城の跡地に桃の木が多く植えられたことから、この地が「桃山」と呼ばれるようになり、それが明治時代以降に学術用語として定着していった、という経緯があるようです。
だから歴史は面白い
普段何気なく使っている歴史用語や時代名にも、意外な背景や面白いエピソードが隠されているものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!また次回の記事でお会いしましょう。