黄昏の峰、最後の決断
八月二十五日の朝方、最終決戦の火蓋は切って落とされました。秘密の間道の在処を知った武田勢が、入口の大岩をとり除くと同時に、神之峰の城をめがけて怒涛のように攻め上がって来たのでございます。
麓から迫りくる地鳴りのような轟音に、城内の誰もが武者震いをする中、開戦を告げる法螺貝が吹き鳴らされました。
三百丁余りの鉄砲を持った武田勢は、雨霰のように玉を浴びせかけてまいります。されど、城を囲む大木や大岩に当たるだけで、岩陰に潜む知久武者にはなかなか命中いたしません。
対する知久方はというと、鉄砲はわずか数十丁。武器の数では遙かに及ばないものの、豊富にある岩や丸太を次々に転がして応戦いたしました。
圧倒的な数に物をいわせ、ジリジリとムカデの如くうねりながら頂上に迫る武田勢。少数ながら上方に位置する有利さを充分に発揮して、武田勢を寄せつけない知久勢。攻防は相譲らず、一進一退をくり返しました。
しかし、午の刻(正午)を過ぎる頃になると、徐々に戦況が変わってまいりました。どれほど矢を射かけ、鉄砲を撃ち、岩や丸太を浴びせても、雲霞のごとく押し寄せる敵兵に、さすがの知久勢にも疲れの色が出始めたのでございます。
相手がひるんだと見た武田勢は、ここぞとばかりに、岩肌や木立によじ登り、うっそうと茂る下草をかき分けて、次々に波状攻撃を仕掛けてまいりました。
そこへ、天の助けでしょうか。晴れていた空がにわかにかき曇り、ぽつりぽつり落ちてきたかと思う間もなく雨脚が激しくなり、同時に立っていられないほどの強風まで吹きつけて来たのでございます。
あと一歩のところまで神之峰城に迫った武田勢でしたが、あまりの荒天のため、いったん進攻を止めざるを得ませんでした。嵐のおかげで、神之峰城の命がほんのわずかに永らえたのでございます。
峰が宵闇に包まれる頃、嵐は過ぎ去りました。
「今夜はもう攻めては来るまい。おそらく、明日の夜明けとともに…………」 神之峰城の運命が、もはや風前の灯火であると悟っておられる頼元様は、お心の内で最後のご決断をなさっておられました。
落城、そして一筋の光
「これ以上戦いを長引かせても、無駄に死傷者を増やすだけじゃ。ここまで残って、わしと共に戦ってくれた同士を救うことこそ、城主の務め……」そう決断された頼元様は、本丸にすべての武者を集められました。
今や、その数は二百人にも満たぬほどに減っておりました。しかし、頼元様のお顔は、不思議なほどに落ち着き、お声は穏やかでした。
「みなの衆。実に長い間、十倍もの敵を相手に一歩も引かず、よくぞここまで戦い抜いてくれた。
この頼元、心の底より感謝申し上げる。しかし、もはやこれ以上戦うは忍びない。いたずらに犠牲者が増えるだけじゃ。どうか、この峰を降りて、新しい道を開いてほしい」
その言葉に、家臣たちは声を荒げました。
「殿を置いて降りるなぞ、到底できませぬ!」
「命など惜しくありませぬ! どこまでも殿とご一緒に!」
「そうだ、そうだ! だいいち、綾姫さまに申し訳が立たぬ!」
怒号のような声と共に、あちこちから、すすり泣く声も聞こえ始めました。頼元様は、家臣たちの気持ちを痛いほど受け止めながらも、静かに首を横に振られました。
「皆の衆の気持ちは、よう分かる。じゃが、もうわしを困らせんでくれ。これ以上、誰一人として死なせとうはないのじゃ。この頼元の最後の願い、どうか聞き入れてくれ」
重苦しい静けさがしばし続いた後、やがて堰を切ったような号泣へと変わりました。
頼元様の心情を察した家臣たちのほとんどが、まだ暗いうちに、断腸の思いで城を去って行きました。
城に残ったのは、頼元様、その弟君である知久善右衛門様、そしてお孫君の頼龍様。さらには、最後まで神之峰を降りることを拒んだ家臣ら十数人のみでございました。
夜が明け、日が昇るやいなや、武田の大軍が、鬨の声をあげて神之峰へと雪崩れ込んできました。
十六日にも及んだ神之峰の戦いは、ついに知久方の敗北に終わったのでございます。三百有余年の長きにわたり、この伊那の地を守り継いできた神之峰城の歴史は、ここに哀しくも幕を閉じたのでございました。
流浪の果て、運命の邂逅
頼元様の末孫である知久頼氏様は、神之峰の落城寸前、祖父君や重臣達に説き伏せられ、涙ながらに城を脱出されました。この時、わずか十四歳の若君でございました。
玄蕃殿に命がけで守られながら、まだ仄暗い「かわたれ時」に、辛うじて武田の包囲を突破し、南へと落ち延びたのでございます。
途中、神之峰の城あたりを振り返れど、朝霧に煙ってその姿は見えません。
頼氏様は、
「いつか必ず、この地を取り戻す」
と、固く心に誓われたと申します。
その後、風の噂に、頼元様と頼龍様、そして最後まで城に残った家臣の方々は、甲斐へ送られ、河口湖畔の船津にて打ち首になったと伝わってまいりました。
父君の頼康様と、そして姉君の綾姫様の行方は、杳(よう)として知れませぬ。
頼氏様は、今川家に仕官することが叶いました。ひたむきに務めを果たし、着実に義元公の信頼を得られた頼氏様は、当時人質として今川家に預けられていた松平元康様、後の徳川家康公の世話役を仰せつかることになったのでございます。
しかし、今川家での平穏な日々も束の間。 桶狭間にて義元公が討たれると、頼氏様はそのまま徳川家康公の臣下となり、運命の皮肉か、かつて父祖の地を奪った武田家の重臣だった穴山梅雪(あなやま ばいせつ)殿の片腕として、戦国の世を駆け抜けることになったのでございます。
伊賀越え、忠義の絆
武田信玄はというと、神之峰での非道の限りを尽くした天罰が下ったのでしょうか。奇しくも神之峰にほど近い駒場の地にて、戦に明け暮れた五十三年の生涯を閉じました。
信玄の亡き後、武田家は急速に衰退し、世は織田信長公、そして徳川家康公の時代へと、大きく舵を切り始めたのでございます。
天正十年、六月二日。
京の本能寺にて信長公が明智光秀に討たれる「本能寺の変」が勃発いたしました。ちょうどその時、家康公はわずかな供回りで堺に滞在しておられ、まさに絶体絶命の危機に陥ったのでございます。
「一刻も早く、この地を離れねば…」
家康公は、三河へ向けての命懸けの脱出行、世に言う「伊賀越え」を決意されました。
その苦難の道中、穴山梅雪殿は家康公に進言いたしました。
「上様は、一足先にお発ちくだされ。我らはしばらくここに留まり、万一の時には、敵を食い止めて時を稼ぎましょう」
家康公と供回りが山深く走り去った後、梅雪殿は、傍らを歩く頼氏様に静かに語りかけました。
「世の移り変わりとは、まことに不思議なものよのう、氏殿」
「はっ。人との巡り会いや人生の変遷には因縁さえ感じまする」
頼氏様の澄んだ瞳には、苦難を乗り越えた者だけが持つ、強い光が宿っておりました。
「おぬしは、かつての仇敵でもあるこのわしに、長きにわたり力を貸してくれた。この梅雪、心より礼を申す」
「滅相もございませぬ。昔は昔、今は今でございますれば」
頼氏様が笑顔を向けると、梅雪殿の顔にも、わずかに笑みが浮かびました。
その時、前方の竹藪から飛び出てきた五、六十騎の野盗が、一行の前に立ちはだかりました。
「もしや、徳川家康公のご一行か」
「いかにも。わしが徳川家康じゃが、何用かな?」
梅雪殿は、威厳をもって答えられました。すでに、家康公の影武者として死ぬ覚悟を決めておいでだったのです。
「貴公はこの場を脱出し、殿の後を追うのじゃ。そして殿に伝えてほしい。野盗に囲まれたら、決して戦わず、金子を渡してその場を切り抜けよ、と。それから、この書状を…」
梅雪殿は、頼氏様に素早く耳打ちされると、胸元から一通の書状を取り出して頼氏様に託されました。
「こんな日も来ようかと、したためておいて良かった……」
「穴山殿!」
「これ以上は言わせんでくれ。おぬしなら、わしの気持ちを分かってくれよう。すべては殿のため、そして、おぬしのためじゃ」
野盗たちが一斉に襲いかかってくる中、梅雪殿は、頼氏様の愛馬の尻を強く鞭打ちました。馬は一声高く嘶き、頼氏様を乗せて駆け出しました。
「頼むぞ! そしていつの日か、必ずや神之峰を再興するのじゃぞ!」 梅雪殿の最後の言葉を背中で聞き、頼氏様は涙で滲む視界の中、ただひたすらに馬を走らせたのでございます。

安養寺の薄雪草
伊賀越えの苦難を乗り越え、無事に岡崎城へ帰り着いた家康公は、そこで梅雪殿から託された書状を開かれました。
そこには、頼氏様の忠誠ぶりと、神之峰の旧領を安堵してほしいという梅雪殿の切なる願いが記されており、ご自身のことは一言も触れられてはおりませんでした。
家康公は、梅雪殿の忠義に深く心を打たれ、即座に頼氏様の功を認め、旧領安堵と六千貫の禄をお与えになったのでございます。

─天文二十三年。
武田信玄に城を追われてから、実に二十八年の歳月が流れておりました。ついに、念願であった知久家再興が叶ったのでございます。
再び踏んだ神之峰の地は、すっかり荒れ果てておりましたが、頼氏様の心には、言いようのない懐かしさと新たな決意が込み上げてまいりました。
ある日、頼氏様は、かつて綾姫様と共に訪れた、菩提寺である安養寺の跡地を訪れました。戦火で多くを失った境内でしたが、片隅に、ひっそりと咲く一輪の白い花を見つけられました。
それは、薄雪草(うすゆきそう)でございました。
高山の厳しい風雪に耐え、清らかに咲くその花は、綾姫様の面影そのものでございました。白く可憐でありながら、その奥に秘めたる強さと凛々しさ。
頼氏様は、そっと薄雪草に手を伸ばし、その花弁に触れられました。途端に、綾姫様の優しい笑顔や凛とした声が鮮やかに蘇ってまいりました。
「姉上……。わたくしは、ようやく戻ってまいりましたぞ……」
頼氏様の頬を、一筋の涙が静かに伝い落ちました。
それは、長年の苦労が報われた喜びの涙であり、そして何よりも、綾姫様への尽きせぬ想いから溢れた涙でございました。
人の世は、喜びと悲しみを繰り返し、多くのものが移ろいゆきます。されど、変わらぬものもございます。それは、人を想う心、故郷を愛する心、そして、困難に立ち向かう勇気でございましょう。
綾姫様がその身をもって示された気高い勇気は、薄雪草の花言葉のように、この地に生きる人々の「大切な思い出」として、これからも語り継がれるに違いありません。
運命の歯車は、このあともまだ回り続けます。頼氏様には新たな苦難が待ち受けているのでございますが、それはまた別の機会にお話し申し上げることにいたしましょう。
わたくし、しらねは、これからもずっと、この場所ですべてを見守ってまいります。
「完」