山内一豊を支えた賢妻・千代の生涯

戦国時代、数々の武将たちが天下統一を目指し、しのぎを削りました。その影には、夫を支え、時には運命を左右するほどの活躍を見せた女性たちの存在があったことを忘れてはなりません。

今回は、土佐藩初代藩主・山内一豊の妻として知られる千代について、その生涯に迫ります。

目次

夫・山内一豊を土佐24万石の大名へ導いた賢妻・千代

山内一豊の妻・千代といえば、夫を内助の功で支え、土佐24万石の大名にまで押し上げた賢妻として知られています。

中でも有名なのが「馬買いのエピソード」です。千代が嫁入りの際に持参した黄金十両で名馬を買い、それが織田信長の目に留まり、一豊の出世のきっかけになったという話は、多くの人に感銘を与えてきました。

一豊は関ヶ原の戦いの功績により、土佐一国を与えられます。しかし、土佐入国からわずか5年後、一豊は61歳でこの世を去ってしまいます。最愛の夫を失った千代は、その後どのような人生を歩んだのでしょうか。

夫の死、そして土佐を離れる決意

夫・一豊の死から約5ヶ月後、千代は土佐の地を離れる決意をします。

一豊と千代の間には娘が一人いましたが、天正14年(1586年)に発生した江北地震(こうほくじしん)により、幼くして亡くなっています。この悲劇は、千代の心に深い傷を残したのは間違いありません。

子供がいなかったため、山内家の家督は一豊の甥である忠義(ただよし)が継ぐことになりました。千代は、新たな藩主となった忠義に後事を託し、自らは静かに土佐を離れる道を選んだのです。

京都での隠棲と最期

土佐を離れた千代は、出家して京都の大通院(だいつういん)に移り住みました。かつて夫と共に戦乱の世を駆け抜けた日々とは対照的に、静かで穏やかな余生を送ったと伝えられています。

そして、奇しくも夫・一豊と同じ61歳で、千代はその生涯を閉じました。夫の出世を陰日向に支え、時には大胆な決断で夫を助けた千代。その生き様は、まさに「賢妻」という言葉がふさわしいものでした。

最期まで貫いた賢妻としての気配り

千代の賢妻ぶりは、最期の瞬間まで貫かれていました。彼女は自らの死を悟ると、自身の遺産を全て甥の忠義に渡し、身辺整理をしっかり済ませたといいます。

戦国という激動の時代を生き抜き、夫を支え続けた千代の物語は、私たちに夫婦の絆や内助の功の大切さを教えてくれます。彼女の生き様は、これからも多くの人々に語り継がれていくことでしょう。


よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

地域の歴史城趾コーディネーター

だれも注目しないようなマイナーな歴史に光を当て、独自の切り口で面白く分かりやすく伝えるのが信条。

目次