武田の騎馬軍団の真実
戦国時代といえば、勇猛果敢な武将たちが覇を競った時代。中でも「武田の騎馬軍団」と聞くと、「最強」「恐れられていた」といったイメージを持つ方も多いのではないでしょうか?
しかし、そのイメージ、本当に史実に基づいているのでしょうか?今回は、武田の騎馬軍団の真実に迫ってみましょう!
意外?騎馬の割合は他大名と変わらない
まず驚くべき事実は、武田軍全体における騎馬武者の割合です。
実は、武田軍の騎馬の割合は、軍全体の約10%程度だったと言われています。これは、ライバルであった織田、徳川、上杉、北条といった他の戦国大名たちと、ほぼ同じくらいの比率なのです。「騎馬軍団」という名前から受ける、大軍勢のイメージとは少し異なりますね。
馬に乗ったまま突撃はしなかった?
さらに、戦い方にも注目してみましょう。
映画やドラマで見る限り、騎馬武者が馬に乗ったまま敵陣に突撃するシーンが描かれがちですが、当時の日本の馬は比較的小柄でした。そのため、主な役割は戦場までのスピーディーな「移動手段」。実際の戦闘では、馬から降りて戦うのが一般的だったようです。
なぜ「最強」伝説が生まれたのか?
では、なぜ武田の騎馬軍団は「最強」として語り継がれているのでしょうか?
記録上、武田の「騎馬軍団」が特別に恐れられていたという記述は見当たりません。しかし、武田信玄率いる武田軍「全体」が非常に強かったことは確かです。信玄の卓越した戦略・戦術により、多くの戦で勝利を収め、その強さは周辺諸国を震撼させました。
おそらく、この武田軍全体の圧倒的な「強さ」と、後に武田家が滅亡してしまったことへの惜しむ気持ちなどが合わさり、「最強の騎馬軍団」という伝説的なイメージが後世に形作られていったのではないでしょうか。
まとめ
武田の騎馬軍団が、実際に「最強」だったわけではありません。しかし、非常に強力な軍団であったことは事実です。歴史のイメージと史実の違いを探るのも、歴史の面白いところですね!
それでは、また次回の歴史の裏側でお会いしましょう!