山あいの小さな町に息づく、祈りのかたち
長野県の南端、緑深き山々に抱かれた阿南町。
この静かな町には、毎年、人形とともに“神を送る”という、どこか懐かしく、そして心惹かれる美しい風習が息づいています。
それは、江戸時代から三百有余年もの間、大切に守り継がれてきた「人形芝居」と深く結びついた、この土地ならではの“祈りのかたち”。今日は、そんな阿南町の温かな伝統の世界へ、皆さまをご案内します。
三百年の時を超えて舞う、国の宝「早稲田人形芝居」
阿南町の人々の暮らしに彩りを与えてきた伝統芸能、それが「早稲田(わせだ)人形芝居」です。
その歴史は古く、江戸時代中期に淡路の人形座から伝わったのが始まりとされています。娯楽の少なかった当時、人形芝居は、村人たちにとって何よりの楽しみであり、心の拠り所でした。五穀豊穣や村内安全を願う神社の祭礼では、神様への奉納として上演され、その伝統は今も大切に受け継がれています。
演目は「戎舞(えびすまい)」や「三番叟(さんばそう)」といった古典的なものから、地域に伝わる物語まで多岐にわたります。一体の人形を三人で操る「三人遣い」の高度な技術は、まるで人形に魂が宿っているかのようで、生き生きとした表情や動きは観る者を魅了します。
この早稲田人形芝居は、地域住民の熱心な活動に支えられ、昭和52年(1977年)には国の選択無形民俗文化財にも指定されました。毎年8月の「早稲田神社祭礼」では、氏子や地元保存会の手によって、魂のこもった人形芝居が奉納され、境内は多くの見物客で賑わいます。

人形に託す願い――阿南町独自の“神送り”とは
早稲田人形芝居と並んで、阿南町の人々の“祈り”を象徴するのが、毎年1月の第2日曜日に行われる「神送り(かみおくり)」の行事です。
これは、その年に起こりうる災厄や疫病などを人形に肩代わりさせ、村の外へ送り出すことで、一年の無病息災や家内安全を願う伝統的な儀式。いわば、古い年の厄を“祓い”、新しい年への“希望”を託す、大切な節目なのです。
神送りに使われるのは、藁や木の枝、紙などで素朴な素材で作られた人形たち。これらは「オジンジョウサマ」「オネブツサマ」など、地域によって様々な愛称で呼ばれ、家々を巡って集められたり、特定の場所に祀られたりします。そして、子どもたちの手によって村境まで運ばれ、丁重に送り出されるのです。
人形(ひとがた)に厄を託して水に流したり、燃やしたりする風習は、日本の他地方にも見られます。ただ、阿南町の神送りには、人形芝居で人形と深く関わってきたこの土地ならではの「人形へのリスペクト」が込められていると感じるのは筆者だけでしょうか。
単なる厄除けの道具としてではなく、まるで生きているかのように人形を扱い、敬意を払って送り出す。その姿は、自然と共に生き、目に見えないものを畏敬してきた日本人の古来の信仰心を今に伝えています。

「当たり前」の風景を守る――時代を超えて受け継がれる想い
早稲田人形芝居や神送りのような伝統文化が、なぜ今も阿南町に息づいているのでしょうか。それは、この文化を「特別なもの」としてではなく、「生活の一部」「当たり前にあるもの」として、地域の人々が自然体で関わり続けてきたからに他なりません。
人形芝居の保存会では、熟練の遣い手から若い世代へと、熱心に技が伝えられています。練習は決して楽なものではありませんが、祭りの日に観客から送られる拍手や、子どもたちの輝く瞳が、何よりの励みになると言います。
「子どもの頃から、じいちゃんや親父が人形を遣うのを見て育ったから、自分もやるのが当たり前だと思ってた」と語る保存会のメンバーの言葉には、人形の遣い手としての確かな誇りを感じました。
神送りの行事もまた、地域の人々、特に子どもたちにとって、冬の風物詩として生活の中に溶け込んでいます。大人たちは、人形の作り方や行事の意味をさりげなく伝え、子どもたちは遊びの延長のように人形を運びます。そうした経験を通じて、故郷の文化への愛着が自然と育まれていくのでしょう。
心に刻みたい、阿南町の静かな誇り
阿南町では祈りのかたちも芸のかたちも、“人形”という存在に託され、人々の手で大切に育まれつつ、現在へと繋がれてきました。決して華やかではないけれど、土地の風土と人々の暮らしの中で、確かに息づいている温かな文化なのです。
情報が溢れ、あらゆるものが目まぐるしく変化していく現代。阿南町のように、大切なものを静かに守り続ける町があることを心に留めておきたいものです。
阿南町を訪れる機会があれば、人形たちに込められた人々の想いや伝統を守り継ぐ姿に、そっと心を寄せてみてください。きっと、何か大切なものが見つかるはずです――それは、今の私たちが忘れかけていた、やさしい祈りのかたちかもしれません。。