戦国時代の武将と聞くと、正室(せいしつ)と呼ばれる正式な奥さんのほかに、「側室(そくしつ)」というたくさんの奥さんがいたイメージを持つ人も多いかもしれません。
では、なぜ武将たちは多くの側室を持ったのでしょうか?今回は、戦国時代の「側室事情」について、わかりやすく解説します。
なぜ側室が必要だったの?~お家を守るための大切な役目~

戦国時代は、いつ合戦が起こり、命を落とすかわからない非常に厳しい時代でした。また、今のように医療も発達していないため、病気で若くして亡くなることも珍しくありませんでした。
武将にとって最も大切な仕事の一つは、自分の家を次の世代に受け継いでいくことです。そのためには、自分の跡を継ぐ「子孫」をたくさん残す必要がありました。
もし、正室との間にしか子供がいなかった場合、その子が早くに亡くなってしまうと、家を継ぐ人がいなくなってしまいます。そうした事態を避けるために、多くの武将は側室を持ち、たくさん子供を作ることで、家が途絶えてしまわないように備えていたのです。
また、敵対する大名家と和解したり、他の武将との同盟関係を強くしたりするために、相手の家の娘を側室として迎える「政略結婚」という側面もありました。側室を持つことは、家を守り、勢力を拡大するための重要な戦略だったのですね。
有名武将たちの側室情報

では、有名な武将たちは、いったい何人くらいの側室を持っていたのでしょうか。記録によると、以下のような数が伝えられています。(諸説あり)
- 徳川家康= 20人くらい
- 伊達政宗=7人くらい
- 織田信長= 11人くらい
天下統一を目前にした織田信長は、特に多くの側室がいたことがわかります。また、天下人となった豊臣秀吉は、その権勢を背景にさらに多くの女性をそばに置いたと言われています。
奥さん一筋!側室を持たなかった武将たち
しかし、すべての武将が側室を持っていたわけではありません。中には、生涯にわたって正室だけを愛し、側室を持たなかった「愛妻家」の武将もいました。
有名どころでは、山内一豊(やまうちかつとよ)、明智光秀、石田三成(いしだみつなり)などです。特に石田三成は、側室を持たなかっただけでなく、正室との間に8人もの子供を授かったと言われています。戦国の世にあって、一人の女性を大切にし続けた彼らの生き方もまた、魅力的ですね。
