段丘のてっぺんで、松茸が香る、豊丘村という「豊かな丘」

長野県の南部、飯田市の北東。天竜川がつくった日本一とうたわれる河岸段丘の、ちょうど中心にその村はあります。豊丘村(とよおかむら)。

村の名前は、「豊かな丘」。読んでそのままの意味なのですが、実はこの名前、選ばれたのは意外と最近のことでした。

一般募集で決まった村の名前

豊丘村が誕生したのは、昭和30年(1955年)4月1日。町村合併促進法によって、神稲村(くましろむら)と河野村(かわのむら)が合併したときのことです。

新しい村の名前は、一般募集で決まりました。「豊」は村の繁栄を期待する豊かさを表し、「丘」は日本屈指の段丘地帯に発達したことを表す――村の公民館報には、そう説明されています。

面白いのは、合併前の村名のほうです。「神稲」と書いて「くましろ」。初見で読める人はまずいないでしょう。

こちらは明治8年(1875年)、いくつかの村が合併したときに考案された名前で、「神に供える稲を作る田」を意味するといわれます。地名研究の世界では、「クマ」は「カミ」と関連のある語で、人目から見えにくい場所――道や川の曲がりくねったところ、谷の奥など――を指すとされています。紀州の「熊野」や肥後の「球磨川」も、同じ「クマ」に由来するのだそうです。

神に捧げる稲の田。読みにくい地名の奥に、そんな祈りが隠れていました。この「神稲」の地名は、いまも村の大字として生きています。

赤松林と、朝採れの松茸

豊丘村といえば、秋。

村木がアカマツになるほど赤松林が多く、9月下旬から10月にかけては松茸のシーズンを迎えます。香り、味、歯ごたえの三拍子そろった一級品を求めて、全国からファンが訪れる村です。

質の高さの理由は、水はけの良い伊那谷特有の土壌と気候。松茸が発生するには繊細な条件が必要で、この段丘の上には、たまたまそのすべてが揃っていました。

シーズン中は「道の駅 南信州とよおかマルシェ」などで販売されるほか、堀越地区では松茸をふんだんに使った料理でもてなす「まつたけ観光」も行われています。

もちろん、松茸だけではありません。段丘の畑では、りんごや市田柿といった果樹も育ちます。内陸性気候の寒暖差が、果物を甘くしてくれるのです。

てっぺんから、伊那谷を見渡す

そんな村に、平成27年(2015年)、ひとつの公園ができました。

「福島てっぺん公園」。標高およそ800メートル、福島区千駄木の丘の上です。

展望台と展望テラスからは、福島本村前田の棚田と、伊那谷の大パノラマが一望できます。天竜川を挟んだ対岸の高森町や飯田市の街並み、そして中央アルプス。オープンした年の8月には、長野県の「信州ふるさとの見える丘」に認定されました。

そしてこの公園、なぜかSNSで有名になりました。理由は「ほうきジャンプ」。展望台の近くにジャンプ用のほうきが置いてあり、それにまたがって跳べば、空を飛んでいるような写真が撮れるのです。かなり低い位置からカメラを構えるのがコツだそうで、うまく撮れると本当に飛んでいるように見えます。

段丘のてっぺんで、ほうきにまたがって跳ぶ。村の名前が「豊かな丘」であることを、これ以上わかりやすく体現した遊びもないかもしれません。

山が動いた日

ただし、この村の歴史には、忘れてはならない出来事もあります。

昭和36年(1961年)6月27日、「三六災害(さんろくさいがい)」。梅雨前線による記録的な豪雨が伊那谷を襲い、各地で土砂崩れと洪水が起きました。豊丘村内でも死者2名、家屋被害492戸という大きな被害が出ています。

段丘という地形は、豊かな畑と絶景をもたらす一方で、崩れやすさとも隣り合わせでした。満州移住と三六災害によって過疎化の進んだ野田平地区では、昭和55年(1980年)に集団移住が完了しています。

いま野田平は、廃校になった旧分校の校舎を宿泊棟に活用したキャンプ場になっています。昔の教室がそのまま残っていて、訪れた人は誰でも童心に返れる場所です。

最後に……

豊かな丘。一般募集で選ばれたこの名前は、いま思えばずいぶん的確でした。

日本屈指の河岸段丘。赤松林が育てる松茸。段丘の畑になるりんごと市田柿。てっぺんから見渡す伊那谷。すべてがこの「丘」の上にあります。

そして同じ丘が、かつて崩れて人々を苦しめもした。豊かさと厳しさを両方抱えたまま、村は今日も段丘の上にあります。

秋、松茸の季節に訪れてみてください。丘のてっぺんから見る伊那谷は、その両方をまとめて見せてくれるはずです。

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