詩経から生まれた村名と傘の里│喬木村(たかぎむら)の物語

長野県下伊那郡喬木村(たかぎむら)。天竜川の東岸、日本でも最大規模といわれる河岸段丘の上に広がる村です。

この村の名前は、中国の古典から来ています。

詩経の一節が、村の名前になった

明治8年(1875年)1月23日、阿島・小川・伊久間・富田・加々須の5か村が合併して、ひとつの村が誕生しました。そのとき選ばれた名前が「喬木」です。

出典は『詩経』の「伐木」。

 伐木丁丁 鳥鳴嚶々  出自幽谷 遷于喬木

木を伐る音が響き、鳥が鳴きかわす。鳥は暗い谷を出て、高い木へと移っていく――そんな情景をうたった詩です。「喬木」とは、高く伸びた木のこと。

深い谷から高い木へ。合併したばかりの村が、この一節に何を託したのかは想像するしかありません。けれど確かなのは、それ以来この村が一度も分村も合併もせず、150年を歩んできたということです。

関所で助けた旅人が、傘をくれた

喬木村の名産といえば、和傘の「阿島傘(あじまがさ)」。その始まりには、ちょっと出来すぎた話が伝わっています。

阿島に陣屋を構えていたのは、知行3,000石の旗本・知久(ちく)氏。慶長6年(1601年)以来、江戸幕府の命で浪合の関所(現在の阿智村)を守っていました。

うららかな春の日のこと。関所を通りかかった一人の旅人が、腹痛に苦しんで倒れます。関所守はその人を番屋に泊め、懇ろに介抱しました。

やがて快復した旅人は、礼として傘づくりの技を伝授して去っていきます。

任を終えた関所守は阿島に帰り、その技術を村に伝えました。知久氏は、傘づくりに必要な材料――良質な竹、和紙、渋柿――のすべてが知行地内で採れることに目をつけ、家臣の内職として奨励します。薄給の下級武士たちのあいだに広まり、やがて武士だけでなく村人も傘をつくるようになりました。

「骨の数だけ技がある」といわれるほど手間のかかる仕事です。それでも明治40年には年間30万本を生産する一大産業に成長。100軒を超える傘屋が並び、畑や石垣、水路に千本以上の傘が干される光景から、「傘の村」として広く知られるようになりました。

洋傘の普及に押されて生産は減り、昭和の終わりには残り1軒に。それでもいま、その1軒に師事した職人が現れ、技は途切れずに続いています。

知久氏という一族の、長い戦い

その阿島傘を育てた知久氏は、諏訪氏の一族といわれる、鎌倉時代以来の伊那の土豪です。

はじめは知久平城を本拠とし、のちに神之峰城へ移りました。しかし戦国時代、この一族は苦難の連続に見舞われます。

天文23年(1554年)、知久頼元は武田信玄に属することを拒んで戦い、敗れて処刑されます。次代の頼氏は織田信長、そして徳川家康に仕えますが、この人もまた処刑されてしまう。二代続けての悲劇でした。

再起したのは、その次の則直の代です。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに東軍として出陣し、その功績で阿島3,000石の交代寄合旗本となりました。

翌慶長6年(1601年)から3年をかけて築かれたのが、阿島陣屋です。周囲より高い台地の上、東西約145メートル、南北約110メートルの敷地に、30を超える建物があったといいます。以後、知久氏は明治維新までこの地を治めました。

陣屋跡には、いまも「曙月庵(しょげつあん)」が残っています。嘉永元年(1848年)、10代・頼匡が造営した御殿茶室で、茶室としては珍しい二階建て。明治以降の改造がほとんどなく、当初の位置に残る御殿茶室としては県下唯一といわれる、貴重な建物です。

『大造じいさんとガン』は、ここから生まれた

そしてこの村は、もうひとつの名前で全国に知られています。

児童文学者・椋鳩十(むく・はとじゅう)。本名を久保田彦穂といい、明治38年(1905年)1月22日、喬木村阿島北に生まれました。

13歳で飯田中学に進み、19歳で法政大学へ。大学時代の休みには、父とともに遠山や大鹿の山を歩き、猟師や木地師の話に耳を傾けたといいます。のちの動物文学の芽は、このときの山歩きに宿ったのでしょう。

28歳で初めて「椋鳩十」の名で小説を自費出版し、33歳で最初の動物文学『山の太郎熊』を発表。『片耳の大鹿』『孤島の野犬』『マヤの一生』と作品を重ね、なかでも『大造じいさんとガン』は今も小学5年生の国語教科書に載り続けています。

鹿児島県立図書館の館長も務め、「母と子の20分間読書運動」を提唱して全国に読書運動を広げました。

村に椋鳩十記念館と記念図書館ができたのは平成4年(1992年)8月。きっかけは、国から交付された「ふるさと創生事業」の1億円でした。村は使い道を村民アンケートで問い、椋を顕彰する施設を求める声が最も多かったのです。記念館から生誕地までの約3キロは「ふれ愛散策路」として整備され、石碑をたどりながら歩けます。

ちなみに、この記念図書館には猫の館長がいます。名前は「ムクニャン」。朝は館長宅から出勤し、日中は軒下の段ボール小屋で眠ったり、来館者のあとをついて歩いたり。就任後、入館者が前年同月の2倍になったこともあるそうです。

最後に……

高い木へ移る鳥をうたった村名。旅人が置いていった傘の技。二度も当主を処刑されながら再起した一族。そして、山を歩いた少年が生んだ動物文学。

喬木村の話は、どれも「受け取って、続ける」という形をしています。誰かが持ってきたものを、この村の人たちが引き受けて、次へ渡してきた。

深い谷を出て、高い木へ。150年前に選ばれたあの村名は、案外いまも、この村のありようを言い当てているのかもしれません。

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