長野県の最南端近く、愛知県との県境。愛知県最高峰・茶臼山の北麓に、ぽつんと開けた小さな盆地があります。売木村(うるぎむら)。
面積43.43平方キロメートル、そのうち88%が森林。人口はおよそ550人で、長野県で2番目に人口の少ない村です。標高1,000メートル級の山々と、四つの峠にぐるりと囲まれた盆地の底に、集落と田んぼが静かに広がっています。
そんな村に、いま毎年3,000人を超えるランナーが集まっている――と言ったら、少し意外に思われるでしょうか。
「うるぎ」という名前の謎
まず、この村の名前です。
「売木」と書いて「うるぎ」。木を売る村、と読めてしまいますが、実はこの地名には定説がありません。地名研究の世界では「ウル」を「潤す」の語幹と見て湿地を指すという説、「ウレ・ウラ」は川の上流を示す「ウエ」が転じたものという説などが挙げられています。売木の集落は確かに売木川の上流にあり、川べりには湿地もある。「川の上流にある湿地」あたりが有力なのだろうと、地名の研究者は書いています。
村自身は「うるおう木の村」という読み解きを掲げています。88%が森林という土地柄を思えば、これはこれで美しい解釈です。
榑木と、ろくろと、炭
村の歴史は、ずっと木とともにありました。
江戸時代、この村は年貢を米ではなく「榑木(くれき)」で納めていました。榑木とは、屋根板などに使う細長く割った木材のこと。耕地の乏しい山村では、山そのものが年貢の元手だったのです。早くから山林の開発が行われていた証でもあります。
同じ江戸時代、ろくろを回して椀や盆をつくる木地師(きじし)たちがこの山で活躍しました。木地師は良い木を求めて山から山へ移動する人々です。彼らがこの地に足を止めたということは、それだけの森があったということ。
そして昭和の初めまでは、製炭が盛んでした。かつては長野県有数の炭の産地だったといいます。運搬や農耕のために馬を飼うことも盛んでした。

そして、村は走りはじめた
時代が下り、村は新しい道を選びます。
標高およそ800メートル。低すぎず、高すぎない「準高地」。この高度が、持久系スポーツのトレーニングに向いているのです。しかも村内は平坦で走りやすく、峠に向かえば起伏もある。あちこちに川が流れているので、練習後のアイシングにも困らない。
「走る村うるぎプロジェクト」。この地形の条件を武器にスポーツ合宿の誘致を進めた結果、年間3,000人を超えるランナーが訪れる村になりました。人口550人の村に、その5倍以上のランナーが毎年やってくる計算です。
面白いのは、この取り組みが単なる観光誘致に終わらなかったこと。合宿で通ううちに村に惹かれ、そのまま移り住む人が出てきました。いま売木村は、Iターン者が住民のおよそ4割を占める村になっています。
昭和23年、村はひとりで立つことを選んだ
村の成り立ちも、少し変わっています。
明治22年、町村制の施行で売木村と和合村が合併し「豊村」が発足しました。ところが昭和23年(1948年)7月1日、豊村は分割され、大字売木の区域が売木村として独立します。残った和合はのちに阿南町の一部となりました。
戦後の混乱期に、あえて別々の道を選んだ。その判断が、いまの村の輪郭をつくっています。
村の楽しみは、ほかにもあります。準高冷地の寒暖差が育てるトマトやトウモロコシ、ミョウガ。四方の山から流れる水で育つ米。天然温泉「こまどりの湯」に、うるぎ星の森オートキャンプ場。夏でも涼しく、夜には満天の星が広がります。
最後に……
「ふるさとの原風景」という言葉が、これほど素直に当てはまる場所も珍しいと思います。
四つの峠を越えなければたどり着けない、小さな盆地。そこに田んぼがあり、川が流れ、山が囲んでいる。それだけの場所です。
けれど、その「それだけ」を求めて、毎年何千人ものランナーが峠を越えてくる。走ることも、暮らすことも、この村では同じ景色の中にあるのです。