太鼓も笛もない盆踊り│阿南町・新野(あなんちょう・にいの)五百年続く伝統

盆踊りといえば、櫓の上のスピーカーから音頭が流れ、太鼓が鳴る。だいたいそういうものだと思っています。

長野県阿南町の新野(にいの)地区で、8月14日から3日間続く盆踊りには、それがありません。三味線も、笛も、太鼓も、鳴り物を一切使わないのです。

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声だけで、夜が明けるまで

櫓の上にいる音頭取りが「音頭出し」をする。その下で踊る人たちが「返し」の声で応える。この掛け合いだけで、踊りは進みます。そして、夜9時から翌朝6時まで。それが3日間続きます。

踊りは7種類。「すくいさ」「音頭」「おやま」「おさま甚句」が扇子踊り、「高い山」「十六」「能登」が手踊り。毎日、必ず「すくいさ」から踊り始めるのが決まりです。

輪踊りなので回る向きも決まっていて、「すくいさ」と「十六」は右回り、それ以外は左回り。

きらびやかな衣装もいりません。扇子が一本あれば、誰でもいつでも輪に入れます。最も賑わう時間帯には、踊りの輪が500メートルに及び、踊る人が3,000人に達することもあるといいます。

五百年前、隣の国から来た踊り

起源ははっきりしていません。

ただ記録によれば、享禄2年(1529年)、新野に瑞光院が建立された際、開山を祝って三河国振草村(現在の愛知県設楽町あたり)の人々が寺の庭で踊ったのを村人が見て、これを盆踊りとして年々踊るようになった、と伝えられています。

室町時代の末。500年近く前のことです。

現在のような輪踊りになる前は、新盆を迎えた家の庭先を回り、親類縁者や村人が集まって精霊を慰めるための踊りをしていたといわれます。

1998年に「新野の盆踊」として国の重要無形民俗文化財に指定され、2022年11月にはユネスコ無形文化遺産「風流踊」のひとつにも登録されました。

500年前から脈々と続いてきた盆踊り

圧巻は、最後の朝

この祭りの本当のクライマックスは、3日間の踊りそのものではありません。

17日の明け方です。

東の空が明るくなる頃、市神様の神前で御岳行者を先立ちに和讃が唱えられます。和讃が終わると、切子燈籠を掲げ「ナンマイダンボ」と唱えながら、行列が組まれる。

そして踊りは、このときだけ踊られる「能登」に変わります。

ここからが独特です。行列は瑞光院の広場を目指して進むのですが、若者たちが最後まで踊り続けようとして、その行進を阻む。押しのけて進もうとする切子燈籠――迎えた新しい精霊です――と、行かせまいとする踊り手たちが、激しくせめぎ合う。

これが「踊り神送り」です。

広場に着くと、切子燈籠はつぶして積み重ねられます。その前で行者が呪文を唱え、九字を切り、刀を抜いて道切りの式を行う。花火が上がり、参列者が大声を上げて精霊を送り出します。

この花火は、音を発することで隣村へ踊り神を送ってしまおうという意味だとされ、仏教伝来以前の「霊送り」の形を残すものといわれます。

最後に切子燈籠に火がつけられると、人々は「秋歌」をうたいながら、うしろを振り向かずにもと来た道を帰ります。

振り向くと悪霊がとりつく。だから秋歌をうたって、悪霊にも「もう夏は終わって秋になった」と知らせ、舞い戻るのを防ぐ――そう伝えられています。

誰に刺さる祭りか

この祭り、「賑やかな夏祭り」を期待して行くと、まったく違うものが待っています。

屋台がずらりと並ぶわけでもなく、大音量の音楽もない。夜通し、人の声だけが続く。テンポも郡上おどりなどに比べるとゆったりしています。

けれど、民俗芸能や民俗学に関心のある人にとっては、national treasure級の現場です。大正時代、民俗学者の柳田國男がこの盆踊りを高く評価し、後世に受け継ぐよう説いたと伝えられています。「踊り」と「送り行事」が今も一体として行われている例は、非常に貴重とされます。

そして意外なことに、「盆踊りをちゃんと踊ってみたい人」にも向いています。扇子一本で誰でも参加でき、観光客向けの日程調整をしないぶん、本物の中に混ざれる。老若男女を問わず輪に入れます。

新野は標高の高い高原にあり、夏でも夜は冷えます。羽織るものを一枚持って行ってください。そして17日の朝まで残れるなら、ぜひ残ってみてください。この祭りの正体は、たぶんそこにあります。

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