三百年、人形が絶えなかった谷│飯田はなぜ「人形劇のまち」になったのか

長野県の南部、天竜川が南北に流れる伊那谷。その中心都市である飯田市は、毎年夏になると少し不思議な街になります。

公民館や集会所、神社の境内、保育園の遊戯室。ふだんの暮らしの場所が、そのまま人形劇の舞台に変わるのです。令和8年(2026年)の「いいだ人形劇フェスタ」は、7月30日から8月2日までの4日間。国内外から約300の劇団が集まり、飯田市と近隣町村の約100会場で350を超えるステージが組まれました。日本最大の人形劇の祭典です。

人口10万人に満たない地方都市に、なぜこれほどの祭りが根づいたのか。たどっていくと、江戸時代の農村に行き着きます。

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江戸時代に始まった「伊那谷四座」

江戸時代、上方で生まれた人形浄瑠璃は、街道を伝って各地へ広がりました。伊那谷でも街道筋の村々で人形芝居が演じられるようになり、最も盛んな時期には二十座近くを数えたといいます。

飯田市龍江の今田人形は、宝永元年(1704年)の始まりとされます。村人がお金を出し合って京都から人形を買い求め、氏神の祭礼に奉納したのが最初と伝わります。

その前年、元禄16年(1703年)には、大坂の竹本座で近松門左衛門の『曽根崎心中』が初演されています。都で人形浄瑠璃の人気が高まったのとほぼ同じ頃に、この山あいの村は人形を手に入れていたことになります。当時はまだ一人の遣い手が一体の人形を操っていた時代で、現在のような三人遣いが生まれるのは、さらに30年ほど後のことです。

飯田市上郷の黒田人形には、元禄年間(1688〜1704年)に正命庵の僧・正覚が村人に教えたのが始まりという伝承があります。下黒田諏訪神社の境内には天保11年(1840年)に建てられた人形舞台が残り、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

これに阿南町の早稲田人形、箕輪町の古田人形を加えた四つが「伊那谷四座」です。黒田・今田・早稲田の三座は国の、古田は県の選択無形民俗文化財になっています。

二十座近くから四座へ、昭和の立て直し

二十座近くあった座のうち、現在まで活動を続けているのはこの四座だけです。

早稲田人形は明治から大正にかけて最盛期を迎えましたが、昭和に入って一度衰えます。昭和22年(1947年)に保存会が結成され、立て直しが始まりました。

昭和30年(1955年)には、今田・黒田・早稲田の三座が「伊那人形保存協議会」を結成します。昭和59年(1984年)には古田を加えた四座で「伊那人形芝居保存協議会」となり、谷の人形芝居を座どうしで支え合う体制が整っていきました。

細くなりかけた糸を、地元の人たちが自分たちの手で結び直した時期といえます。

昭和54年(1979年)、人形劇カーニバル飯田が始まる

転機は、国際児童年にあたる昭和54年(1979年)に訪れます。

全国規模の人形劇の祭りを開ける場所を探していた人形劇人の有志が、飯田市に協力を求めました。市がこれに応え、同じ年、市の主催で「人形劇カーニバル飯田」が始まります。初回には全国から60の劇団が参加しました。

特徴的だったのは、その開き方です。大きなホールに観客を集めるのではなく、市内各地区の公民館や集会所に会場を分散させ、劇団のほうが地域へ出向いて上演する。観客は参加証の「ワッペン」を身につけて、街のあちこちの会場をめぐる。この形は、いまのフェスタにも引き継がれています。

外から来た祭りが、地元の伝統を呼び覚ました

もっとも、始まった当初の市民の反応は冷ややかだったようです。最初のうちは市の外から来た人形劇人のための催しと受け止められ、関心は高くなかったといいます。

変化は、回を重ねるなかで起こりました。全国の人形劇人が毎年この街を目指してやって来る。その事実が、市民の郷土への誇りを呼び起こします。地元の伝統人形芝居に改めて目が向けられ、受け継ぐ若い世代が育ちはじめました。商店主はウィンドーを人形の展示に開放し、海外劇団を迎える通訳や会場の準備も、市民がボランティアで担うようになっていきます。

昭和の保存活動が守ってきた伝統が新しい祭りの土台になり、その祭りが今度は伝統の担い手を育てる。飯田に人形劇が根づいた理由は、この往復にあります。

市民の祭り「いいだ人形劇フェスタ」へ

カーニバルは昭和58年(1983年)から海外の劇団も招くようになり、10回目にあたる昭和63年(1988年)には飯田人形劇場が開館しました。

20回目を終えた平成10年(1998年)、市が主催する形でのカーニバルは幕を下ろします。翌平成11年(1999年)からは、複数の市民グループが主催する「いいだ人形劇フェスタ」として再出発しました。カーニバルから数えて、令和8年(2026年)で通算48回を迎えています。

現在のフェスタを支える市民ボランティアは、中学生から大人まで2,000人を超えます。

祭りの期間以外にも人形に会える施設

飯田には、祭りの期間以外にも人形に会える施設がそろっています。

平成5年(1993年)、龍江に「今田人形の館」が完成しました。平成10年(1998年)には「竹田扇之助記念国際糸操り人形館」が開館します。糸操りで国内外に知られた竹田人形座の最後の座長・竹田扇之助氏は隣の喬木村の出身で、帰郷を機に人形やコレクションを飯田市に寄贈しました。上郷には、伊那谷四座の稽古と交流の拠点となる「黒田人形浄瑠璃伝承館」もあります。

そして平成19年(2007年)、「飯田市川本喜八郎人形美術館」が開館します。NHK人形劇『三国志』『平家物語』の人形を手がけた川本喜八郎氏は、平成2年(1990年)のカーニバルで初めて飯田を訪れました。江戸時代に上方の人形遣いを招いて教えを請うた土地の歴史や、人形に情熱を傾ける人々の言葉に心を動かされ、この街こそ人形たちにふさわしい場所だとして、およそ200体の人形を市に寄贈したと伝えられています。

祭りが人を呼び、人が人形を連れてきた。施設の顔ぶれは、そのままカーニバル以降の歩みを映しています。

人形劇を観に行くなら

いちばん入りやすいのは、7月末から8月初めにかけてのフェスタです。街のあちこちが会場になるので、人形劇に詳しくなくても、歩いているうちにどこかの上演に行き当たります。子ども向けの祭りに見えて、大人が本気でつくった舞台も少なくありません。

伝統の人形浄瑠璃を観るなら、時期を選ぶ必要があります。今田人形は毎年10月、大宮八幡宮の秋季祭典で奉納上演を行います。黒田人形の奉納上演は、毎年4月の下黒田諏訪神社の春祭りです。

川本喜八郎人形美術館は、『三国志』『平家物語』を放送当時に観ていた世代には懐かしい場所です。テレビの中で動いていた人形を、ガラス越しに間近で見ることができます。

宝永元年(1704年)に村人が京都から人形を買い求めたことと、いま街角で人形劇が上演されていること。そのあいだには、途切れかけては結び直されてきた三百年があります。


参考資料

【ウェブサイト】

  • ・飯田市「いいだ人形劇フェスタ2026 A・Bタイプ上演参加・自主企画提案 募集要項」
    ・飯田市「いいだ人形劇フェスタ2026開催」記者発表資料(令和8年4月20日)
    ・飯田市「人形劇のまち飯田」(今田人形座、今田人形の館、黒田人形浄瑠璃伝承館)
    ・長野県公式観光サイト Go NAGANO「人形劇のまち飯田」
    ・サントリー文化財団 サントリー地域文化賞「いいだ人形劇フェスタ」
    ・政府広報オンライン Highlighting Japan 2022年3月号「いいだ人形劇フェスタ」
    ・ニッポン旅マガジン「早稲田人形芝居」


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