『源氏物語』の巻名になった木がある谷│阿智村(あちむら)園原と東山道

『源氏物語』第二帖のタイトルは「帚木(ははきぎ)」。

雨夜の品定めの巻として知られるこの巻名は、ある木の名前から来ています。遠くから見ると箒を立てたような形に見えるのに、近づくと消えてしまう、そんな伝説の木です。

その帚木があるとされる場所が、長野県阿智村の園原(そのはら)にあります。阿智村といえば星空と昼神温泉。けれどこの村には、まったく別の顔があります。

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都と東国を結んだ官道

園原は、阿智村の西端、岐阜県との県境にある小さな集落です。

古代、この地には「東山道(とうさんどう)」という官道が通っていました。都と東国を結ぶ幹線道路です。そしてその東山道で最大の難所といわれたのが、神坂峠(みさかとうげ)でした。

標高1,500メートル超。恵那山の東麓を越えるこの峠は、古代の旅人にとって命がけの場所でした。園原は、その峠のふもとにあたります。峠を越えてきた人にとって、園原は「やっと……、たどり着いた」という場所だったはずです。

尾根から見下ろすと、園原の里が広がり、その向こうに伊那谷、さらに遠く赤石山脈(南アルプス)の稜線が見える光景。その眺めは、都から来た人々の目に強く焼きついたことでしょう。そして彼らは、都に帰ってから旅の話としてそれを語りました。

都の文学に、この谷が出てくる

その結果、園原は都の文学作品に繰り返し登場することになります。

『源氏物語』『枕草子』『万葉集』『今昔物語』――紫式部も清少納言も、この信濃の谷の名前を知っていた。

行ったことはおそらくない。けれど「園原」「帚木」という言葉は、都の教養人のあいだで共有されるイメージになっていました。

近づくと消えてしまう木。それは、手が届きそうで届かないものの比喩として使われます。『源氏物語』の「帚木」の巻名も、その含みで選ばれています。

長野県歌「信濃の国」にも、”たずねまほしき園原や”、つまり「訪ねてみたい園原よ」と歌われています。

歩ける古代

園原の面白さは、これらが「文献の中の話」で終わらないところです。

  • 神坂神社:樹齢二千年ともいわれるご神木があり、日本武尊ゆかりと伝わります。峠を越える旅人が道中の無事を祈った場所です。
  • 帚木:あの伝説の木とされるものが、実際に見られます。
  • 信濃比叡廣拯院(月見堂):最澄が神坂峠を越える旅人のために設けた布施屋(ふせや)に由来するとされる場所です。峠で行き倒れる旅人が多かったため、救護施設を置いたのが始まりと伝わります。
  • 駒つなぎの桜:源義経がこの木に馬をつないだという伝説を持つ、樹齢400年以上とされるエドヒガンザクラ。
  • 暮白の滝:願掛けの皿を投げる滝です。

これらが、歩いて回れる範囲に点在しています。集落の中には古道の雰囲気がそのまま残り、随所に歌碑が立っているのを見るのも楽しいです。

村では「東山道・園原ビジターセンター はゝき木館」が案内所と資料館を兼ねており、常設展のほかガイドツアーも行われています。

誰に刺さる場所か

正直に言えば、園原は「わかりやすい観光地」ではありません。

派手な施設はなく、帚木も「これがあの帚木か」と思って見なければ、ただの木です。何も知らずに立ち寄ると、「静かな山村」以上の印象は残らないかもしれません。

けれど、古典文学が好きな人、あるいは古道歩きが好きな人には、これ以上ない場所です。『源氏物語』の巻名の由来を実際に見に行ける場所は、そう多くありません。

そして古代史・交通史に関心のある人にとっては、東山道最大の難所のふもとという立地そのものが本題になります。人と物が越えていった峠の、下側に立てる。

昼神温泉から車ですぐです。星空を見に行く予定がある方は、昼のうちに少し足を延ばしてみてください。同じ村とは思えない時間が流れています。

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