織田信長が飯田にいた三日間|天正10年、武田が滅んだ春

天正10年(1582年)3月15日、織田信長が飯田にやって来ました。

滞在は三日。この短いあいだに、飯田は戦国の大きな節目に立ち会うことになります。甲斐の武田氏が滅び、その当主だった武田勝頼の首が、飯田の地で人々の目にさらされたのです。

「信長が飯田で首実検をした」と紹介されることもあるこの出来事を、信長の家臣・太田牛一が記した『信長公記(しんちょうこうき)』をもとに、日を追ってたどってみます。

目次

武田の城が、戦わずに空いた

天正10年2月、織田信長の嫡男・信忠の軍勢が、美濃から伊那谷へ攻め込みました。

下伊那の諸将が相次いで織田方に下るなか、飯田城を守っていたのは、坂西織部と保科正直でした。『信長公記』は、二人が「かかわり難く存知」、つまり持ちこたえられないと考えて、2月14日の夜に城を退いたと記しています。武田氏が下伊那の拠点として整えてきた飯田城は、戦うことなく空になりました。

『信長公記』によれば、保科正直はその後、高遠城(現在の伊那市)に入りました。3月2日、信忠の軍勢は高遠城に攻めかかり、その日のうちに城は落ちました。

武田勝頼は、甲斐の新府城を捨てて東へ逃れ、3月11日、田野(現在の山梨県甲州市)で一族とともに自刃しました。信忠の軍勢が伊那谷に入ってから、ひと月あまりのことです。

信長が信濃に入ったとき、戦は終わっていた

この間、信長自身はまだ伊那谷にいませんでした。

信長が軍勢を率いて動き出したのは3月5日です。岐阜、犬山、金山を経て、3月11日に美濃の岩村に入りました。勝頼が田野で最期を迎えたのは、まさにこの日です。

3月13日、信長は岩村を発って根羽(ねば)に陣を移し、14日には平谷を越えて浪合(なみあい)に陣を取りました。根羽・平谷・浪合は、いまの下伊那郡根羽村・平谷村、そして阿智村の浪合にあたります。三河や美濃から伊那谷へ入る山あいの道筋を、信長はこのとき通ったことになります。

信長が信濃に足を踏み入れたとき、武田との戦はすでに終わっていました。

首実検は、浪合だった

3月14日、浪合の陣に、勝頼とその子・信勝の首が届けられます。届けたのは、関可平次と桑原助六という二人の武士でした。信長はここで首を検め、首実検を行っています。

つまり『信長公記』に従うかぎり、首実検の場所は飯田ではなく浪合です。そのうえで信長は、家臣の矢部家定に命じて、首を飯田へ運ばせました。

飯田は、首実検の場ではなく、その首が人々の前に置かれた場所でした。

雨の飯田で

3月15日、信長は飯田に陣を置きます。『信長公記』によれば、この日は昼ごろから強い雨が降っていました。飯田市の解説は、このとき信長が飯田城に入ったとしています。

勝頼父子の首について、『信長公記』は次のように記しています。

四郎武田勝頼父子の頸、飯田に懸け置かれ、上下見物仕り候。

「上下」は身分の上下のことで、武士も町の人々も、みな見に来たということです。前の月まで武田の拠点だった飯田で、その武田の当主の首が、城下の人々の前に置かれたことになります。

翌16日、信長は飯田にとどまりました。この日には、勝頼の従兄弟にあたる武田信豊の首も信長のもとへ届けられています。勝頼父子、信豊、そして高遠城で討たれた仁科盛信の首は、京都へ送られて獄門にかけるよう命じられ、信長の家臣・長谷川宗仁がその役を負いました。

三日目の朝、北へ

3月17日、信長は飯田を発ち、大島を経て飯島に陣を移しました。

大島は、武田氏が飯田城とともに下伊那の拠点とした大島城のあった場所(現在の下伊那郡松川町)です。信長はそのまま伊那谷を北へ進み、18日に高遠、19日には上諏訪の法華寺に入っています。

信長は甲斐と信濃の仕置きを済ませ、伊那郡を家臣の毛利秀頼に与えました。そして4月、安土へ戻ります。本能寺の変で信長が倒れるのは、それからおよそ二か月後、6月2日のことでした。

飯田にとっての三日間

信長が飯田にいたのは、3月15日から17日までの三日間です。

その前の月、飯田城は戦わずに空きました。信長は戦うためにここへ来たのではなく、戦が終わったあとで通り過ぎていきました。それでも、この三日間を境に、飯田の行く先は大きく変わります。

伊那郡を与えられた毛利秀頼は、本能寺の変のあといったん飯田を離れますが、天正18年(1590年)にふたたび戻り、飯田城を大きく造り替えました。三の丸と追手門を設け、石垣を築き、城下町を広げたのは、この秀頼と、跡を継いだ京極高知の時代です。いま知られる飯田城の形は、信長が通り過ぎた先に生まれたものでした。

[→ 記事①「消えた城の輪郭|飯田城とは、どんな城だったのか」/記事⑨「秋山虎繁の改修と、武田の伊那谷支配」(近日公開)]


参考資料

【ウェブサイト】

  • 飯田市「飯田城の歴史」(文化財保護いいだ):坂西織部・保科正直の退去、信長の飯田入りと首、伊那郡と毛利秀頼、秀頼・京極高知による城の整備
  • 「信長公記(巻の15)」(現代語表記):飯田城の退去、高遠城の落城、信長の出陣日と行程、浪合での首実検、飯田での首と逗留、京都への首の送致
  • コトバンク「甲州征伐」(世界大百科事典):武田勝頼の最期と日付

【文献】

  • 太田牛一『信長公記』巻十五
  • 『飯田城ガイドブック ―飯田城と城下町を探ろう―』飯田市美術博物館、2005年

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